itoichiのブログ

ノンフィクションとフィクションの間の話です。

10. 従わねばならぬ世界がクソすぎる

もちろん、ティファニーのダイヤモンドバイザヤードは手に入れられていない。

 

 

 

もうお決まりなので、すっと本題に入ろう。

 

 

 

 

 

 

今日、考えておきたいことは、

なぜ、あのクソじじぃに従わねばならぬのか、

なぜ、あのクソじじぃに従わなかったから、

私が辞職する流れに至ったのか、である。

 

 

 

 

私は最初から最後まで間違えていないという自負だけがある。

 

 

ただ、私がそこまでして守った信念は、

私のことを守ることはできなかった、それだけだ。

 

 

 

 

 

 

そこにはいろんな思考の糸が張り巡らされていたように思う。

 

 

 

新卒なんだから、

 

 

 

社会の常識を教えてあげましょう。

電話は先に出るんだよ、そして、僕に回しなさい。

 

 

 

 

 

女なのに、

 

 

 

 

お茶汲みの仕事をしていないのはなぜだい?代わりにやってあげるよ、仕方ないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

女なんだから、

 

 

 

 

 

 

僕の趣味の写真の被写体になっておけばいいんだよ、美しく撮るよ、

 

 

 

いやだって?

 

 

 

そんなことはない、どんな女性だって、写真に撮られたら嬉しいだろう?

恥ずかしがっているだけだろう?

 

 

 

 

 

女なのに院卒だなんて

 

 

 

 

 

 

偉そうな、大したことはないくせに。

僕の子どもたちには、絶対に無駄だった言うよ。

 

 

 

 

 

結婚したんだから、

 

 

 

 

苗字は勝手に変えておいてあげるね。

 

 

 

 

 

 

結婚したんだから、

 

 

 

 

 

旦那さんが稼いでくれるでしょ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこに、私はいなかった。

 

 

 

 

 

私は意見を持たない存在だった。

「そうですねー、あははー」と言うことを求められるだけの存在だった。

 

 

 

 

私の後輩も同じ目に遭っていた。

 

 

 

 

私だけなら、まだよかった。

 

 

 

後輩に同じことをするのは、おかしいと思った。

 

同じように、大きな声で、自分の理不尽な主張を押し付けていた。

 

 

 

 

限界だった。

 

 

 

 

 

 

「それはおかしい」

 

 

 

 

 

 

 

世界を変えてしまったのだ。

そのじじぃは、徹底的に味方を作り始めた。

 

 

 

私の敗戦だった。

それだけの経験値はなかったのだ。

 

 

ただ、20代後半の女子を追い込むためだけに、何人もの大人の男性を集められて、

何人もの偉い人の名前が連名になった書類を、

一番偉い人に突きつけられる。

 

 

 

 

 

「異動」

 

 

 

 

 

 

よく考えたら、ただの週一の非常勤の存在に、そこまでするか?というのが感想である。

 

 

 

 

ただ、じじぃは、非常勤であったとしても、職員の一人として、常勤と同じくらいの責任を求めていたのだ。

 

 

そんなの真っ平御免だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、私が働く職場をそういう職場ばかりだ。

 

 

尊敬はできないがそこそこ偉い人たちは、往々にして、自分のことしか考えていない。

 

 

周りの人を、自分の欲望を叶えるマシーンみたいに考えている。

 

 

 

 

 

そこそこ偉い他人の、欲望を叶えるマシーンとして、動くことに価値を見出しているなら、うまくいく。

 

 

 

 

でも、全く尊敬できない人の、欲望を叶えるマシーンになるのは、本当に本当に嫌だ。

 

 

 

 

 

私は、正直なところ、自分の仕事をしていればいい、というタイプではある。

 

 

 

1から10まで、手取り足取り、指図されることは、ほんとうに苦手だ。

1から10までやるから、その間はそっとしておいてほしい。

 

 

 

 

 

一方で、他人の状態や、気持ちにはとても敏感である。

 

 

 

 

落ち込んでいる人がいたら、仕事が手につかないくらい、その人のことが心配になってしまう。

 

 

 

 

 

もちろん、じじぃの「そうなんですかー、すごいですねー!」を頂きたい気持ちも、丸見えである。

 

 

 

 

 

 

 

 

うまくやってる友達は言う。

「なんかこう、表面的に付き合えばいいんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

それが、

どうもわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

表面的に、って、どうすればいいんだろう?

 

 

 

 

 

 

とりあえず笑うことではないようだ。

 

 

 

 

 

 

実は、まだ答えが見つかっていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

私の中で折り合いをつけようとする。

「あんなひどいところに、わざわざ、いなくてもいいんだよ。他にも、いろいろあるよ」

 

 

 

 

失敗ばかりの私は踏み出すのが怖い。

 

自分だけが、我慢すれば、辞めずに済んだんじゃないか、という考えも脳裏をよぎる。

 

 

 

 

でも、まだ数えられるほどじゃないか。

 

 

 

 

きっと、わかってくれる場所はあるよ。

 

 

いざとなったら、他人にわかってもらうことで必死になることなんかやめてさ、一人でできることをすればいいじゃない。

 

 

 

 

その時間がもったいないよ。

誰かから認めてもらうことを考える、

時間がもったいないよ。

 

 

 

 

 

 

誰かの役に立つことは、たった一人だって、できるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たった一人だって。

 

9. 幸せの味が残らなすぎる

さて、もはやおなじみ、

私はまだダイヤモンドバイザヤードを手に入れられていない。

 

首元に輝く、一粒のダイヤモンド。

 

大人の女性の証(だと思い込んでいる)

一粒石のネックレス。

 

 

 

もはや、ティファニーじゃなくてもいい。

 

 

 

でも、せっかくなら、ティファニーが欲しい。

 

 

 

 

揺れ動く心を抱えてみる。

 

が、そんなことをしたって、ティファニーのダイヤモンドバイザヤードが手に入れられるわけではない。

 

 

 

「起きて、出かける準備をするよ」と、いつもよりしっかりヒゲを剃って、いつもよりきっちりした服を着た夫が、私を優しく起こした。

 

「張り切ってるね、どこに行くの?」と、まだ開ききらない瞼のまま、私は夫に尋ねた。

 

「内緒。とにかく準備して」夫は言う。

 

 

なんだかわからないけど、急いで準備した。

 

 

 

わけもわからず電車に乗った。

 

降りた駅は銀座だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目の前にはティファニー!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みたいな展開があるはずもなく、

 

 

いつものように、お昼に起きる休日。

ぼさぼさの頭で、ヒゲが伸びてて、寝ぼけ眼の夫。

 

「お腹減ったね。何か食べに行こう。何食べたい?」

 

お決まりのセリフ。

 

 

見慣れた光景。

 

 

 

 

 

 

私のダイヤモンドバイザヤードは!?!?!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然だが、私は、とにかく失敗を恐れる人間だ。

 

 

 

 

 

失敗が怖くない人はあまりいないだろう。

しかし「失敗を恐れないこと」というのは、かっこいい気がして、とても惹かれてしまう。

 

 

 

 

だが、私は何事も失敗するだろうと考えている非常にネガティブな人間だ。

(1〜8まで、読んでくださっている方はもう言わなくてもわかってるって感じかもしれないが)

 

 

 

 

 

それは失敗したくない人間であることの裏返しだ。

如何せん、プライドが高すぎるため、失敗する自分を許せないのだ。

 

 

 

 

そのため、失敗しないよう、努力をしなければ、し続けていなければ、ダメな人間になってしまうと常に考えている。

下調べは怠らない。絶対に、だ。

 

 

 

 

 

 

 

特に、イベントなんかがあると、それはそれは、下調べを周到に行う。

 

 

入籍、結婚式、新婚旅行 etc...

 

 

それはそれは、これでもかというくらい調べる。

 

 

 

とにかく後で「あれ、やっておけばよかった」みたいな後悔をしたくない。

「失敗した」って思いたくない。

 

 

 

 

この世の中は、そういう人にとって、めちゃくちゃ調べ甲斐のある世界だ。

ネットに繋げば次から次へと情報が出てくる。

SNSなんか、最高の見本市だ。

 

 

みんな楽しそうだ。

なんと、どんな失敗をしたか、

どんな失敗をしそうか、まで教えてくれる。

 

転ばぬ先の杖、とても有り難い。

 

 

 

 

終わらない。

いつまで調べていても、調べ終わらない。

あの人はこう書いていて楽しそうだし、

この人はこう書いていて楽しそう。

あ、こういう失敗があるのね、気をつけなきゃ、気をつけなきゃ。

あれもやりたい、これもやりたい。

 

終わらない、終わらない。

不安はなかなか減らない。

 

 

 

 

当日を迎える頃には疲れ切ってしまっていた。

 

もはや、「楽しむ」ことしか、できない。

 

ここまでやったんだし、「楽しくない」わけがないじゃないか、と思い込む。

 

 

 

そのピークの一瞬の楽しさのために、ここまで時間をかけてきたんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、一瞬で、消えてしまった。

その時間を切り取った写真たちが、どうにか満足感を漂わせている。

 

 

 

 

 

 

 

さて、私の夫は下調べをしないタイプだ。

 

 

 

 

 

私から見れば、行き当たりばったりだ。

 

 

 

 

 

「それでも、楽しいよ」

夫は、また、笑った。

 

 

 

 

 

私が、「失敗しないで、楽しむ」ために、こんなに調べて、疲れ切っているのも知らないで…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はてさて、「楽しむ」とは何だろうか?

失敗の対極にあるものなのだろうか?

 

 

 

 

ここまでしないと楽しめないのだろうか?

 

 

 

 

 

 

その瞬間までの疲労感と引き換えに、

「楽しむこと」だけを選択肢にして、

それ以外を挟ませないことが、

果たして、楽しめているのだろうか。

 

 

 

夫は、私が「失敗」だと思った時さえも、楽しんでいるように見えた。

 

 

 

 

夫には、失敗がないのだ。

準備をしていないのだから、

そもそも何が成功かを知らないのだから、

失敗していないのだ。

 

 

その瞬間の楽しさを噛み締めているのだ。

もちろん、楽しくないときだって、噛み締めているのだ。

 

 

 

 

私は、知りすぎてしまったのだ。

だから、恐れてしまったのだ。

 

 

 

 

その時、その瞬間をどう感じるか、

「楽しい」しか残さないことで、

無視し続けてきたのだ。

 

 

 

 

きっと、そういうものではないのだ。

楽しいとか、幸せだとか、

は、準備して、得られるものだけではないのだ。

それは、ただそこにあって、

無理矢理感じるものではないのだろう。

 

 

幸せの味が残らなすぎる、

準備の時間の期待の大きさが、

その味を隠していたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8. 夢も野望もない人

まだ、ダイヤモンドバイザヤードを手に入れていない。

 

 

 

これは、現世の私がダイヤモンドバイザヤードを手に入れられないような罪業を、前世の私が犯したに違いない。

 

 

絶対そうだ。

 

 

 

前世の私は、ダイヤモンドをことごとく粉砕する仕事をしていて、ダイヤモンドと縁がないのだ。

 

 

きっとそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、いきなりだが、私の夫には、夢や野心がない。

 

いや、もしかしたら、あるのかもしれない。泥臭い、男のロマンみたいなやつ似憧れはあるらしい。

 

 

 

しかし、私にとっては、そういう泥臭いやつはどうでもいい。

 

 

 

 

虐げられていたところを、華麗に助けてくれる、とか

長い長い眠りからキスで目覚める、とか、

空の星を全部あげるよ、とか

好きなところを100個言ってくれる、とか

夜景の綺麗なレストランで貴金属をプレゼントしてくれる、とか

それこそ、目を閉じてって言われて、目を開けたらダイヤモンドバイザヤード、とか

 

 

そんなロマンチックだったり、

 

 

 

偉くなるだとか、

出世するだとか、

 

 

そういう野望が、ないのだ。

 

 

 

 

 

むしろ、野望は私の方がある。

 

 

 

「そういうのに、全然、魅力を感じないな」

夫は笑いながら言った。

 

 

 

 

 

 

 

昔の彼を思い出していた。

野心とロマンチックでできてるみたいな人だった。

 

 

 

夢みたいなことをどんどん叶えていく。

周りの人に夢みたいと思わせないうちに、行動して、道を切り開いていく。

その道は、夢まで一直線なのだ。

 

 

 

 

 

あちこち壁にぶつかって、道を見失って、途中で投げ出してしまう私とは大違いだった。

 

 

 

 

 

でも、昔の彼は、私のことが好きなわけではないようだった。

 

 

 

私は彼の持ち物みたいだった。

 

 

 

 

 

同じバイト先の仲間から評判のいい、私のことが好きみたいだった。

 

 

 

笑顔で、優しくて、ネガティブなことを言わない、ひたむきに頑張る私。

 

周りから、そう見られたい私。

 

を、必死に作りあげた私を。

 

 

 

 

 

私は、彼の隣にいる限り、笑顔で優しくいる必要があったのだ。

 

愚痴なんか言わなくて、

ニコニコして、そうだねってうなづく。

 

 

 

何よりも、私は、昔から、自分のことが嫌いで、だから、誰かに望まれている誰かを演じ続けなければならなかった。

 

 

 

 

 

彼に好きになってもらったことで、

私はようやくこの世界に受け入れられた気がした。

 

ただ、その彼が好きになった私は、

誰かを演じている私で、

それは私ではなかったし、

私も誰かを演じながら、誰かを大切にすることなど、できなかったのだろう。

 

 

 

 

 

それはそれは、傷つけられた結果、彼とは別れた。

私は壊れかけていた。

彼は、困った顔をして「死なないでね」と言いながら、笑った。

 

 

 

 

 

お前のために、死んでやるもんかと思った。そこらへんは、壊れていなかった。

 

 

 

 

彼も、私と同じように、誰かを生きていたんだろう。

誰かに、認められたい気持ちは私と同じか、それ以上に強かったはずだ。

 

 

 

 

さて、彼に愛されることが私の意味だと思っていた私は、私を簡単に失くしてしまった。

 

 

 

 

簡単に、失うものがなくなってしまった。

 

 

 

 

ふと、私は私のことを知らないことに気づいた。

他人の目線をなくしたら、私は何が好きで、何をしているのが楽しくて、何をしたいのか、がなかった。

 

 

 

 

 

私は何が好きなの?

何をしている時が落ち着くの?

私は何がしたいの?

 

 

 

 

 

私の見ていた夢や野望は、

みんなに「すごい」と言ってもらいたいだけだった。

顔も知らない誰かに「すごい」と思ってもらいたいだけだった。

 

誰かに、私を受け入れてもらいたいだけだった。

 

それだけが原動力だった。

 

 

 

 

 

その誰か、が、誰のことかわからないままだった。

 

 

 

「誰か」が心を持っていて、それぞれが好きなものが違うこと、人は自分のことばかりを考えてること。

という視点が抜けていた。

 

 

そうか、私も、誰かにとっては、「誰か」だ。

私は、誰かをすごいと思うために生きているわけではないのだ。

 

 

 

 

夢も野望もない夫は、

すごいって言われることを望んではいなさそうだ。

別に、そのままでいいよ、と言って、笑うんだろう。

 

 

そのままでいい、

 

ずっと聞きたいと思っていたのは、

その言葉だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

7. 張りぼての乗り物

実はまだ、ティファニーのダイヤモンドバイザヤードを手に入れていない。

 

 

 

結婚式が終わってしまった。

 

 

 

 

私は、どの手を使ったら、手に入れられるのだろうか?

 

 

 

 

果たして、ダイヤモンドバイザヤードを手に入れられる日が来るのか…!?

 

 

 

 

 

 

 

 

冷房の効いた部屋で、そっと目を閉じる。

麦茶の入ったコップの氷がコロンと転がる音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

居心地のいい場所にいるのが上手い人がいる気がしてならない。

 

 

 

 

 

私の夫はそういう人だ。

 

 

 

 

自分がどうすれば心地いいのかを知っている。

 

 

 

 

 

 

 

一方、私は、自らを居心地の悪い場所に置くのが、非常に得意な人間だ。

 

 

それが、挑戦し続けることであり、努力し続けることであり、

 

 

 

 

 

 

自分探しであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その居心地の悪い場所を選んで、その人たちと同じ空気を吸い、同じ行動を取ることで、その人たちと同じステータスでいることが、私の生きているということだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこの、居心地なんて、考えたことすらなかった。

 

 

 

 

最初は何も考えなくてよかったのだ。

でも、時が経つにつれ、役割が出てくる。

 

その役割を乗りこなせていないことに気づいて、

だんだん何を話したらいいのかわからなくなり、

笑い方も忘れて、

息を吸ってばかりで、吐くことを忘れてしまったのだ。

 

 

その、充てがわれた張りぼて乗り物に、乗りたくないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「居心地が悪いなら、良くすればいいじゃないか」

 

 

 

 

 

今ならわかる。

が、その居心地の悪い場所にいて、息を潜めながら暮らすことが当たり前だった私にとって、「変える」という選択肢はなかった。

 

 

唯一できると思えたことは、「逃げる」ことだった。

 

 

それにしたって、「逃げる事は卑怯なこと、悪いこと」と思い込んでいた私にとっては、その居心地の悪い場所で、張り付いた笑顔を浮かべたまま、壊れてしまった方が、この際いいのではないかという気さえした。

 

 

 

 

 

 

 

結局、私は、張りぼて乗り物の上で、笑い続けることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

真面目すぎるよ、彼は笑った。

 

プライドが高いだけだ、私は泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ、私の人生を生きているのに、わざわざ居心地の悪い場所を選んで、生きようとしているのだろう。

 

 

 

わざわざ、そこで。

 

 

 

 

なぜ、自分だけを傷つけ続けているのだろう?

 

 

 

甘えだとか、もっとこうした方がいいだとか、どこかで聞いたことのある声が、私を動かしていた。

 

 

 

 

果たして、その声は、私を見守り続けてくれただろうか?

 

 

 

私を傷つけるだけ傷つけて、去って行ってしまった者の、声を、聞く必要があるのか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そっと目を開けた。

麦茶のコップを手に取り、口の中に注ぎ込んだ。

氷は溶けきっていて、とても薄い麦茶が出来上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

冬は陽だまりを見つけて丸まり、

夏は冷たい廊下で伸びきっている猫のような、

そんな生き方をしたらいいんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

肩の力を抜いた。

力を抜きすぎて、麦茶の残りがコップから溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり真面目すぎるよ、猫みたいな夫は笑った。

 

 

6. 欲しいものがなくならない

私はまだ、ティファニーのダイヤモンドバイザヤードを手に入れられていない。

 

 

もう諦めモードである。

 

 

ティファニーじゃなくて、スタージュエリーのやつでもいいよ。

 

 

もう諦めモードである。

 

 

 

たまに思い出して、夫にねだってみる

 

 

 

 

「俺は財布が欲しい」

 

 

 

 

 

 

 

そうじゃない。

 

 

ティファニーのダイヤモンドバイザヤード買ってくれたら、財布くらい買ってやるよぉぉぉぉ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

欲しいものがなくならない。

 

 

あれもこれも、着飾るものが欲しくてたまらない。

 

 

 

 

昔は、着ている服で、自分を作り上げようとしてた。

その服が好きなんじゃなくて、その服を着るような人だと思われたい、と。

 

 

 

モテたくて、スカートを履いてみたり、

かわいいねって言われたくて、服を選んでみたり。

椎名林檎になりたくて、セクシーな服を手にとって、戻したり。

 

 

 

 

 

その服を着て、誰かになりたかったのだろう。

 

 

 

その服を着て、誰かになりたかった私を愛して欲しかったのだろう。

 

 

 

 

 

それが当たり前だと思っていた。

 

 

「彼氏がね、もっと可愛い服を着ればいいのにって」

そう言って、友達は笑いながら言った。

「あなたに気に入られるために着てるんじゃない、私が着たいから着てるのにね」

 

 

 

 

 

 

そうか、着たい服というのが存在するのか、と。

 

 

 

 

 

 

愛されるために着る服だけじゃないのか、と。

 

 

 

 

 

 

何を選べばいいのか、ますますわからなくなった。

 

 

 

 

私は、自分で選んでると思い込んでただけで、自分で選んでなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

誰かに愛されるために着る服だけが脱ぎ散らかっていた。

どこのパーティーに呼ばれたんだろう?みたいな服たちは、クローゼットの中で沈黙を守っていた。

 

 

 

 

 

 

誰かに愛されるための私は裸だった。

何も正しくない気がして、何も選べなかった。

 

裸のまま、生きてきたんだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その当時に付き合っていた彼が

「俺に合わせてばかりで、何がしたいの?」と吐き捨てて、私を捨てた。

 

 

 

 

 

 

そこから、裸の私は、私が着たい服を探し始めたのだ。

 

5. 踊らされる人

まだ、ティファニーのダイヤモンドバイザヤードを手に入れられていない。

 

諦められない私は、たまに夫をそそのかしてみる。

「俺にも代わりにそのくらいの値段のする何か買ってよ」

という返しを食らう。

 

 

 

 

 

 

違う、そうじゃない。

 

 

 

 

 

夫は、男女平等の思想の所持者だ。

それは、男尊女卑は絶対にありえないところが最高によくて、かと言って、レディファーストでもなく、女性だけに物を与える思想がないことを意味する。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、結婚してから、社会からの

「私が女であること」を突きつけられること

「結婚したということは、家庭に入った」ということ

の圧力を感じる気がして仕方がない

 

 

 

 

 

保険会社のおじさんには

「旦那さまと相談してないんですか?相談してからまた来てください」

と鼻で笑われたり。

 

 

 

職場では

「結婚したし、子ども産んで育てればいいじゃない」

と言われたり。

 

 

 

 

旦那さまって何だよ!!!

うちの夫様は保険など興味ないから、私が動いたんだろうが!!!

 

 

 

子ども産むとか産まないとか、産むとしたら、いつ産むかは私が決めるわ!!!

私の収入は確かに少ないけど、夫様の稼ぎだけじゃ不安だし、何よりそれなりに楽しく生きるには金が圧倒的に足りねぇから、まだ仕事していたいんだよ!

 

 

 

 

 

 

妻であること、子ども産んで育てること、が、世間から望まれている役割なんだろう。

 

 

私は結婚がしたくて、妻になりたくて、妻になったわけだけど、

別に、妻の役割を果たすために結婚したのではない。

 

 

私は私であって、妻という役割を持っているだけであって、私=妻ではない。

 

 

 

 

 

それを、私という存在を、妻という役割にはめ込んで、「結婚したから、こうでしょ?」「妻だからそうなんでしょ?」と、整理しやすくしただけなんだろう。

 

 

 

 

 

そういう風に見られるのが嫌で、結婚したってあんまりおおっぴらに言えなかったし、仕事で苗字だって変えてないんだけど。

 

 

 

 

 

屁理屈だって、

なかなか理解されないこともわかっている。

 

 

 

 

しかし、私は私のままでいたいのだ。

役割を持っている私でいたいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、書いてきたものの、

ティファニーのダイヤモンドヤードが欲しいことは、女として、いや妻として見られたいということではないのだろうか?

 

 

 

 

 

踊らされてるね

 

夫は鼻で笑った。

 

 

そうだ。踊らされてるのだ。

それに気づいたとしても、

 

 

まだ、踊っていたいのだ。

 

 

 

薄々わかっているのだ、子どもを生んだら、

母、に、なってしまう

女、のままでいられない

私、のままでいられないのかもしれない

踊れなくなる、

その時が、来ることを。

 

 

 

 

でも、まだ、踊りたい。

 

 

 

 

 

 

それを、口に出したら、鼻で笑われることを知っているから、

言葉たちを飲み込んで、窓の外を見る。

 

 

桜の花びらが舞っていた。

一瞬の花盛りを終えたら、次の世代がすでに始まっている。

4. スクールカースト2軍

私の夫にティファニーのダイヤモンドバイザヤードの買い方を教えてくれないだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

私は、婚約指輪をもらえるような価値はない女であることは理解した。

 

 

 

 

 

 

化粧っ気もない。ネイルもしていない。

毎日同じカバンを使い、お昼はサラダじゃ足りない。

 

 

 

 

それでも、欲しいものは欲しい。

キラキラしたものに、憧れはある。

 

 

 

 

 

キラキラした、女。に憧れているのだ。 

 

 

なぜ、私は、キラキラしていないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの子と仲良くなりたいとか、

あの子と一緒にいると自分の価値が下がるとか、

そんなことを頭の片隅で考えてしまうようになったのはいつからだったろう。

 

 

私はどこに属せばいいんだろう、とか。

 

 

ギャルとか、キラキラした女子がいるのが1軍。

アニメとか漫画の話してるのが3軍。

 

 

そこまで特徴ないけど、1軍でも、3軍でもなくて、それが2軍。

 

 

 

 

 

2軍感。

気づけばそんな感覚とずっと一緒にいる。

 

 

ちょうどいいと言ってしまえばそこまでだ。

 

 

 

 

 

そこまでの特徴がないのだ。

 

 

 

 

 

確かに、のめり込みたいものはない。

それなりにオシャレな服は着るけど、

目立たない、ぱっとしない。

その他大勢の中の1人。

 

 

 

 

 

 

 

 

1軍になりたいけど、無理だろう。

3軍には、絶対に、なりたくない。

 

 

 

 

 

 

ふと、疲れてしまったのかもしれない。

自分のいる立ち位置を確認し続けたり、保ち続けたりすることに。

 

 

どうしても、他者の視点がそこに居続けることに。

 

 

 

ティファニーのネックレスは、私が1軍でもなくて、3軍でもないんだってことの証明に欲しいのかもしれない。

 

大人の女性になったって、ティファニーのネックレスをもらうことで、証明したいのかもしれない。

 

 

もちろんそんなこと、とっくの昔に済ませた人だっているだろう。

婚姻でティファニー?笑っちゃうわって人もいるだろう。

そんなの要らないって言い張れる人もいるだろう。

 

 

ただ、私は、自分の今の立ち位置を誰でもない誰かに見せつけたくて、その決めた立ち位置に安心したくて、必死にもがいているのだ。

 

 

 

 

周りの様子を常に伺って、

自分のステータスを維持するための「何か」を求め続けること

 

 

 

ほんの少し、疲れてしまった。