itoichiのブログ

ノンフィクションとフィクションの間の話です。

8. 夢も野望もない人

まだ、ダイヤモンドバイザヤードを手に入れていない。

 

 

 

これは、現世の私がダイヤモンドバイザヤードを手に入れられないような罪業を、前世の私が犯したに違いない。

 

 

絶対そうだ。

 

 

 

前世の私は、ダイヤモンドをことごとく粉砕する仕事をしていて、ダイヤモンドと縁がないのだ。

 

 

きっとそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、いきなりだが、私の夫には、夢や野心がない。

 

いや、もしかしたら、あるのかもしれない。泥臭い、男のロマンみたいなやつ似憧れはあるらしい。

 

 

 

しかし、私にとっては、そういう泥臭いやつはどうでもいい。

 

 

 

 

虐げられていたところを、華麗に助けてくれる、とか

長い長い眠りからキスで目覚める、とか、

空の星を全部あげるよ、とか

好きなところを100個言ってくれる、とか

夜景の綺麗なレストランで貴金属をプレゼントしてくれる、とか

それこそ、目を閉じてって言われて、目を開けたらダイヤモンドバイザヤード、とか

 

 

そんなロマンチックだったり、

 

 

 

偉くなるだとか、

出世するだとか、

 

 

そういう野望が、ないのだ。

 

 

 

 

 

むしろ、野望は私の方がある。

 

 

 

「そういうのに、全然、魅力を感じないな」

夫は笑いながら言った。

 

 

 

 

 

 

 

昔の彼を思い出していた。

野心とロマンチックでできてるみたいな人だった。

 

 

 

夢みたいなことをどんどん叶えていく。

周りの人に夢みたいと思わせないうちに、行動して、道を切り開いていく。

その道は、夢まで一直線なのだ。

 

 

 

 

 

あちこち壁にぶつかって、道を見失って、途中で投げ出してしまう私とは大違いだった。

 

 

 

 

 

でも、昔の彼は、私のことが好きなわけではないようだった。

 

 

 

私は彼の持ち物みたいだった。

 

 

 

 

 

同じバイト先の仲間から評判のいい、私のことが好きみたいだった。

 

 

 

笑顔で、優しくて、ネガティブなことを言わない、ひたむきに頑張る私。

 

周りから、そう見られたい私。

 

を、必死に作りあげた私を。

 

 

 

 

 

私は、彼の隣にいる限り、笑顔で優しくいる必要があったのだ。

 

愚痴なんか言わなくて、

ニコニコして、そうだねってうなづく。

 

 

 

何よりも、私は、昔から、自分のことが嫌いで、だから、誰かに望まれている誰かを演じ続けなければならなかった。

 

 

 

 

 

彼に好きになってもらったことで、

私はようやくこの世界に受け入れられた気がした。

 

ただ、その彼が好きになった私は、

誰かを演じている私で、

それは私ではなかったし、

私も誰かを演じながら、誰かを大切にすることなど、できなかったのだろう。

 

 

 

 

 

それはそれは、傷つけられた結果、彼とは別れた。

私は壊れかけていた。

彼は、困った顔をして「死なないでね」と言いながら、笑った。

 

 

 

 

 

お前のために、死んでやるもんかと思った。そこらへんは、壊れていなかった。

 

 

 

 

彼も、私と同じように、誰かを生きていたんだろう。

誰かに、認められたい気持ちは私と同じか、それ以上に強かったはずだ。

 

 

 

 

さて、彼に愛されることが私の意味だと思っていた私は、私を簡単に失くしてしまった。

 

 

 

 

簡単に、失うものがなくなってしまった。

 

 

 

 

ふと、私は私のことを知らないことに気づいた。

他人の目線をなくしたら、私は何が好きで、何をしているのが楽しくて、何をしたいのか、がなかった。

 

 

 

 

 

私は何が好きなの?

何をしている時が落ち着くの?

私は何がしたいの?

 

 

 

 

 

私の見ていた夢や野望は、

みんなに「すごい」と言ってもらいたいだけだった。

顔も知らない誰かに「すごい」と思ってもらいたいだけだった。

 

誰かに、私を受け入れてもらいたいだけだった。

 

それだけが原動力だった。

 

 

 

 

 

その誰か、が、誰のことかわからないままだった。

 

 

 

「誰か」が心を持っていて、それぞれが好きなものが違うこと、人は自分のことばかりを考えてること。

という視点が抜けていた。

 

 

そうか、私も、誰かにとっては、「誰か」だ。

私は、誰かをすごいと思うために生きているわけではないのだ。

 

 

 

 

夢も野望もない夫は、

すごいって言われることを望んではいなさそうだ。

別に、そのままでいいよ、と言って、笑うんだろう。

 

 

そのままでいい、

 

ずっと聞きたいと思っていたのは、

その言葉だったのだ。