itoichiのブログ

ノンフィクションとフィクションの間の話です。

7. 張りぼての乗り物

実はまだ、ティファニーのダイヤモンドバイザヤードを手に入れていない。

 

 

 

結婚式が終わってしまった。

 

 

 

 

私は、どの手を使ったら、手に入れられるのだろうか?

 

 

 

 

果たして、ダイヤモンドバイザヤードを手に入れられる日が来るのか…!?

 

 

 

 

 

 

 

 

冷房の効いた部屋で、そっと目を閉じる。

麦茶の入ったコップの氷がコロンと転がる音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

居心地のいい場所にいるのが上手い人がいる気がしてならない。

 

 

 

 

 

私の夫はそういう人だ。

 

 

 

 

自分がどうすれば心地いいのかを知っている。

 

 

 

 

 

 

 

一方、私は、自らを居心地の悪い場所に置くのが、非常に得意な人間だ。

 

 

それが、挑戦し続けることであり、努力し続けることであり、

 

 

 

 

 

 

自分探しであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

その居心地の悪い場所を選んで、その人たちと同じ空気を吸い、同じ行動を取ることで、その人たちと同じステータスでいることが、私の生きているということだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこの、居心地なんて、考えたことすらなかった。

 

 

 

 

最初は何も考えなくてよかったのだ。

でも、時が経つにつれ、役割が出てくる。

 

その役割を乗りこなせていないことに気づいて、

だんだん何を話したらいいのかわからなくなり、

笑い方も忘れて、

息を吸ってばかりで、吐くことを忘れてしまったのだ。

 

 

その、充てがわれた張りぼて乗り物に、乗りたくないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「居心地が悪いなら、良くすればいいじゃないか」

 

 

 

 

 

今ならわかる。

が、その居心地の悪い場所にいて、息を潜めながら暮らすことが当たり前だった私にとって、「変える」という選択肢はなかった。

 

 

唯一できると思えたことは、「逃げる」ことだった。

 

 

それにしたって、「逃げる事は卑怯なこと、悪いこと」と思い込んでいた私にとっては、その居心地の悪い場所で、張り付いた笑顔を浮かべたまま、壊れてしまった方が、この際いいのではないかという気さえした。

 

 

 

 

 

 

 

結局、私は、張りぼて乗り物の上で、笑い続けることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

真面目すぎるよ、彼は笑った。

 

プライドが高いだけだ、私は泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ、私の人生を生きているのに、わざわざ居心地の悪い場所を選んで、生きようとしているのだろう。

 

 

 

わざわざ、そこで。

 

 

 

 

なぜ、自分だけを傷つけ続けているのだろう?

 

 

 

甘えだとか、もっとこうした方がいいだとか、どこかで聞いたことのある声が、私を動かしていた。

 

 

 

 

果たして、その声は、私を見守り続けてくれただろうか?

 

 

 

私を傷つけるだけ傷つけて、去って行ってしまった者の、声を、聞く必要があるのか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そっと目を開けた。

麦茶のコップを手に取り、口の中に注ぎ込んだ。

氷は溶けきっていて、とても薄い麦茶が出来上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

冬は陽だまりを見つけて丸まり、

夏は冷たい廊下で伸びきっている猫のような、

そんな生き方をしたらいいんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

肩の力を抜いた。

力を抜きすぎて、麦茶の残りがコップから溢れていた。

 

 

 

 

 

 

 

やっぱり真面目すぎるよ、猫みたいな夫は笑った。