itoichiのブログ

ノンフィクションとフィクションの間の話です。

5. 踊らされる人

まだ、ティファニーのダイヤモンドバイザヤードを手に入れられていない。

 

諦められない私は、たまに夫をそそのかしてみる。

「俺にも代わりにそのくらいの値段のする何か買ってよ」

という返しを食らう。

 

 

 

 

 

 

違う、そうじゃない。

 

 

 

 

 

夫は、男女平等の思想の所持者だ。

それは、男尊女卑は絶対にありえないところが最高によくて、かと言って、レディファーストでもなく、女性だけに物を与える思想がないことを意味する。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、結婚してから、社会からの

「私が女であること」を突きつけられること

「結婚したということは、家庭に入った」ということ

の圧力を感じる気がして仕方がない

 

 

 

 

 

保険会社のおじさんには

「旦那さまと相談してないんですか?相談してからまた来てください」

と鼻で笑われたり。

 

 

 

職場では

「結婚したし、子ども産んで育てればいいじゃない」

と言われたり。

 

 

 

 

旦那さまって何だよ!!!

うちの夫様は保険など興味ないから、私が動いたんだろうが!!!

 

 

 

子ども産むとか産まないとか、産むとしたら、いつ産むかは私が決めるわ!!!

私の収入は確かに少ないけど、夫様の稼ぎだけじゃ不安だし、何よりそれなりに楽しく生きるには金が圧倒的に足りねぇから、まだ仕事していたいんだよ!

 

 

 

 

 

 

妻であること、子ども産んで育てること、が、世間から望まれている役割なんだろう。

 

 

私は結婚がしたくて、妻になりたくて、妻になったわけだけど、

別に、妻の役割を果たすために結婚したのではない。

 

 

私は私であって、妻という役割を持っているだけであって、私=妻ではない。

 

 

 

 

 

それを、私という存在を、妻という役割にはめ込んで、「結婚したから、こうでしょ?」「妻だからそうなんでしょ?」と、整理しやすくしただけなんだろう。

 

 

 

 

 

そういう風に見られるのが嫌で、結婚したってあんまりおおっぴらに言えなかったし、仕事で苗字だって変えてないんだけど。

 

 

 

 

 

屁理屈だって、

なかなか理解されないこともわかっている。

 

 

 

 

しかし、私は私のままでいたいのだ。

役割を持っている私でいたいのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、書いてきたものの、

ティファニーのダイヤモンドヤードが欲しいことは、女として、いや妻として見られたいということではないのだろうか?

 

 

 

 

 

踊らされてるね

 

夫は鼻で笑った。

 

 

そうだ。踊らされてるのだ。

それに気づいたとしても、

 

 

まだ、踊っていたいのだ。

 

 

 

薄々わかっているのだ、子どもを生んだら、

母、に、なってしまう

女、のままでいられない

私、のままでいられないのかもしれない

踊れなくなる、

その時が、来ることを。

 

 

 

 

でも、まだ、踊りたい。

 

 

 

 

 

 

それを、口に出したら、鼻で笑われることを知っているから、

言葉たちを飲み込んで、窓の外を見る。

 

 

桜の花びらが舞っていた。

一瞬の花盛りを終えたら、次の世代がすでに始まっている。